人生のほぼを事務所と過ごしている話



物心ついた時から、気付いたらジャニーズが生活の一部でした。





母はデビュー当時からKinKi Kidsが大好きで、縦長ジャケット8cmのデビューシングルをいつまでも大切に持っていたし、母の妹は数十年前にV6を追って台湾までライブに行く位熱烈なファンだったし、そんな中で育った私は、ジャニーズという男性アイドルが生活の中になんの違和感も無く入り込んだ日々を送ってきたように思う。



1番初めにジャニーズをかっこいいと感じたのは堂本光一くん。私の中では白スーツの似合う白馬の王子様の様な存在。齢5歳位にして母の影響モロ受けだった。でも自担グループのメンバーが舞台でお世話になってきたり、この人ありきのジャニーズ。今でもKinKiは私の憧れのアーティストであることはずっと変わらない。



初めて自分の意思でジャニーズを追い掛けるキッカケになったのは意外にもTOKIOの松岡くんだった。小3の時に見たナースマンがキッカケだったのは何故か今でも鮮明に覚えている。両親がバンドマンだったことも重なり、バンドに興味を持ち始めたキッカケはTOKIOだった。



それから、小4で当時仲の良かった友達が嵐の二宮くんが大好きだったのをキッカケに、ラジオを聴いたり友達の家に行けば嵐のDVDを見たりと本格的にジャニーズの沼に足をズブズブとつっこんでいった。

当時の嵐は人気が右肩上がりの時でサクラ咲ケがリリースされて、私もPVと当時のMステの録画をひたすら見る日々だった。そしてニノのラジオは毎週カセットテープに録音していた。カセットテープ懐かしすぎる。そして、ニノのソロは未だに痕跡がダントツで好き。



小5の時にYa-Ya-yahと出逢って、金八先生を見て薮くんにハマった。初めて担当と名乗ったのは薮くんが初めてだったかな。当時夜更かしを禁止されていたから、親に内緒で2階にある小さなブラウン管テレビで毎週ひっそりとリアタイしてた記憶が朧気にある。あと、この頃は忍たま乱太郎のEDだった「世界がひとつになるまで」がマイブームで、それが目当てで忍たまも見てた。

この頃から周りにジャニヲタが増えて、女子の間でジャニーズがブームだった。みんなで分担して雑誌を買っては切り抜きを交換して。ようやったな小学生。



6年生〜中1時は自担の入れ替わりが一番激しかった迷走期。くそミーハーだったから相葉ちゃんもかっこいいな〜でもみんなかっこいいな~なんて言いながら時代はごくせんが大大大ブーム、KATーTUNがどこもかしこからも引っ張っりだこで、中丸くん大好き〜なんて言いながらミンテレやはねトビなんかをがっつり見てた。小6の修学旅行に皆でジャニショや闇ショの自担の写真を持ち寄って、鎌倉の海で写真の撮りあいっこをした。やばい、今とやってること大して変わらない。海賊魂は飽きる程友達と見た。



そして06-07のカウコンで関ジャニ∞錦戸亮にまんまと落とされた。正直えいとの事はそんなに好きじゃなくて、仲の良かった友達が渋谷と村上に毎日のように沸いていたのも理解出来なかった。特に錦戸は色々なドラマで知名度もそれなりにあって、でも当時の私はなんでこんなブサイクが掛け持ちしてんの!?ってずっと思ってた(失礼)のに、カウコンで関風ファイティングを歌ってる姿を見てガッツリ落とされた。

今思えばここが大きな分岐点その1。



それからは毎日が錦戸を中心に生活が回ってた。ちょうど活動を休止していたNEWSがこの年のカウコンを機に復活してオタ活も充実してたし、中学生になった私は毎日部活にも励みつつ部活仲間や学校の仲の良いジャニヲタ達とも、暇さえあれば鑑賞会をしたりと、オタ充リア充の両立って感じだった。



2007年と言えばえいとは47都道府県ツアーがあって、私は好きになって約5ヶ月位で初めてジャニーズのコンサートに行った。

母は確かにジャニーズが好きだったけど所謂茶の間のファンで、コンサートにまで足を運ぶタイプじゃなかったから自分の意思でライブに行ったのはこの時が初めて。生で初めて関ジャニ∞を見た時の感想は"生きてた"。

この頃は前略だったりモバゲーだったりスイマガが流行っていて外におたくの友達を作るのも1つの楽しみだった。この響きたちが懐かしすぎる(笑)この辺りが今のおたくの基盤になったと言っても過言ではない。この時初めて相方と呼ぶ存在が出来た。軽い気持ちで相方宣言をした当時の内担の子は、後に横山担として再会を果たした。



それから黒歴史を色々と重ね(笑)09-10の京セラ単独魂で丸山担に担降りをした。明確に担降り宣言をして降りたのはこれが初めてだった。それでも関ジャニ∞が、まるりょが大好きなのに変わりはなかったし、丸山担に降りても自分の中のえいとは錦戸が中心で回ってたし、それは今も変わらないように思う。それだけ錦戸亮という存在は私の中ではバカでかい。



2010年は再びKATーTUNへのデレ期が始まって、NMPは私の中では思い出が深い。この年のツアー中に赤西が脱退して5人体制になった。赤西が抜けた後の東京ドーム公演は未だに忘れられない。茨城から親に内緒で学校に行くふりをして休み、そのまま駅に向かってドームに通い、気付いたら東京全ステしていたのは今思うとよくやったなって思う。3日目のアンコールのNMPを見ずに音漏れを聴きながらドームを1人後にしたことはこの先も忘れないだろう。馬に乗ってアンコールに出てくる演出、凄いよね。最終日のSMILE、もう一緒に歌えないんだって、LIVEが終わっちゃうんだって泣きながら歌ったのも懐かしい思い出。ある意味純粋なオタクだったのかも。



11年辺りからえいとの目まぐるしい活躍についていけず、同時にオタクの輪に合わせるのがしんどくなったのと有難いことにリアルが充実したおかげで徐々に追うことが辛くなった。所謂冷め期に入り始めたのがこの頃から。

周りの人との熱量の差だったり、行けない現場が増え始めて悔しい思いをしたり、友達の友達が友達という構図に心苦しさを感じてしまってもう関ジャニはいいかなって思うようになった。ツアーが決まっても素直に喜べず、好きで行っていたライブが義務に感じてしまっていた。

恐らくここが分岐点その2。

よく周りの人と合わせたり自分の心に余裕が無くなると好きなものを好きと感じなくなってしまうなんてことを聞いたことがあるけど、この当時がまさにそうだった。

色々大きくなってしまった。私の手に余り零れる程になってしまった。遠い存在、コンビニ感覚で会えるような人達では無くなってしまったように感じた。


それから高校を卒業し一人暮らしが始まったり、専門学校に入って今まで以上に忙しくなったり、アニメやゲームの世界にハマったり、石川界人というこれまたバカでかい存在の推しが出来たり、気付いたら関ジャニ∞、ジャニーズのオタ活というのをしなくなった。それでも新しく出来た友達は意外にもジャニーズ上がりの人が多くて、そこから徐々に今の、大きくなった関ジャニ∞を緩やかに見るようになる。一緒に行こう、と誘ってくれる友達がいなければ、私はえいとのライブに再び行くことはなかったかもしれない。



そして他界隈への気持ちが少し落ち着いた平成最後の今年、2019年にまさかのジャニーズJrにハマるという私からしたら、とんだミラクル。正直今はめちゃくちゃ楽しい。久しく動いて踊る3次元のアイドル、これぞジャニーズというライブ見てなかった。というより見ようとしてなかったのかな。今を一生懸命に生きて、ステージに立つアイドル達が眩しい。





関ジャニ∞はデビュー15周年、私が関ジャニ∞を好きになってから12年になる。懐かしい青春の日々には常に関ジャニ∞がいた。



何があっても永遠に7人で、どこまでも進んでいくんだと思った。でも永遠なんて言葉はなかった。私が好きになった関ジャニ∞の形はもう無い。それでも残った6人は、過去を振り返ることはあれど、前を向いている。これが今の関ジャニ∞の形なんだと1年後の今、15周年を祝うステージに立つメンバーを見て、ようやく頭と心で理解出来た気がする。それでも寂しさは変わらないけれど。



奇しくも今一番に応援したいと思えるグループのTravisJapanは、何の因果か同じ7人組で、すばるくんと同じ誕生日同じ血液型同じメンバーカラーのアイドルがセンターを務めるグループで。彼等もまた、悔しい思いをして強くなって前に進もうとしている。

同世代がどんどんと大きくなって次のステップに進んで行く中で、腐らず着実に、今目の前にある仕事をこなして大きくなっていこうとする姿が、12年前に好きになった大好きなグループとどこかリンクする部分があって、正直全然好きじゃなかったのに今では大好きなグループになった。沢山の人に支えられてもっともっと羽ばたいてくれたら嬉しいと思う。

8.8のあの日、あの時流した悔し涙が、今度は嬉し涙になるといいね。



そしてジャニーズに戻るキッカケをくれたSnow Manもまた、形を変えて次のステップに進もうとしている。長い下積みを経て周りの後輩達がデビューしていく中、悔しい思いを幾度としてきた彼等にもこれから沢山活躍の場を掴んでいって欲しいと思う。初めてその存在を認識したミスノ時代から年齢を重ねて、気付いたらどストライクタイプなアイドルに成長していた阿部ちゃんには本当にビックリしたよ。発表の時は心からおめでとうと言えなかったけど、今は心から祝福出来ます。デビュー、本当におめでとう。




応援したいと思う人は増えたけど、関ジャニ∞が原点であることはこれからもずっと変わらないし、丸山くんは最高で最強の自担です。大好きなコンビもこれまた増えたけど、私の中ではまるりょがずっと1番です。2人が並ぶだけで私はいつでも嬉しいです。だからこそ、この2人だけは変わらないでいてくれますように。

シャカリキに踊るアイドルの側面と、ゴリゴリに楽器を演奏するアーティストの側面を持つ関ジャニ∞が、これからもずっと変わらず好きだと感じた令和元年。

やっぱり私の中では関ジャニ∞もアイドルだから、たまには踊っている姿も見せてくれたら嬉しい。




そして何よりもこんな素敵なアイドル達に出逢わせてくれたジャニーさんに改めて感謝したい。



"Show must go on"をずっと言われ続けてきたと皆言うけれど、そのショーを続けられる居場所を作り続けてきてくれたジャニーさんがいたからこそ、今こうして彼等はステージに立つことができている。エンターテインメントの最先端を走り続けてきたからこそ、時を経て彼等に出会うことが出来た。ジャニーさんが見出してくれなかったら彼等を知ることもなかった。



本当はもっともっと色んな可能性を見出して欲しかった。時代が変わっても色褪せることのないエンターテインメントを伝え続けられるジャニーさんが、この時代にもまだまだ必要だったと心から思う。



彼等が大好きだったジャニーさんはもういない。でも思い出話を懐かしむように笑って話してくれる彼等の笑顔はやっぱりキラキラしてて、そんな彼等の笑顔に、私も笑顔にさせてもらっている。

いなくなってからも沢山の人を笑顔にすることが出来るジャニーさんは、本当に偉大だと思う。





私の人生にジャニーズは隣り合わせだった。そんなジャニーズを世に送り続けてくれたジャニーさん、本当にありがとう。意思を引き継いだアイドル達を、天国でも見守っていて下さい。




安らかな眠りを。御冥福をお祈りします。